Niceratus Kiotensis @ncrt035@gnosia.info

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けものフレンズ Advent Calendar 2017 - Adventar adventar.org/calendars/2115

ポリュビオス『歴史』I 13. 12 - 14. 1(Brit. Mus., Add. MS 11728 fol. 5r; 1416年) Show more

Asmis, E., 'Epicurean Poetics', in D. Obbink(ed.), Philodemus and Poetry: Poetic Theory and Practice in Lucretius, Philodemus and Horace, 1995: 15-34.

主にプルータルコスなどの証言からうかがい知れるエピクーロスの詩に対する態度は必ずしも肯定的なものとは言えない.曖昧さのない明晰な言葉を重視した彼にとって娯楽としての詩はともかく教育の手段としての詩は容認しがたいものだった.
しかしこうした考え方はその後も墨守されていったわけではなく,時代の経過とともに徐々に変化を被っていく.その中で特に重要な転換点となったのは詩の道徳的価値を一定程度認めまた自身も詩人であったガダラのピロデーモスであった.

エピクーロスからルクレーティウスに至るまでのエピクーロス派の詩論の全体像をわかりやすくまとめてくれている論文.

付録としてピロデーモスとウェルギリウスとの関係についての簡単な議論がある(pp. 88-90).1989年に発見されたピロデーモスのパピルス断片にウェルギリウスへの呼びかけがあることからこのヘルクラーネウムのエピクーロス派と詩人との関わりが予想されるが,ウェルギリウスとエピクーロス哲学との関わりの詳細については依然として謎が残るし極端な結論を導くことはできないと注意が促されている.

Farrell, J., 'Philosophy in Vergil', in M.Garani & D.Konstan(eds.), The Philosophizing Muse, Cambridge Scholar Publ., 2014: 61-90.

ウェルギリウスの詩に哲学的要素が読み取れることは古代から知られていた.
古註家たちは詩人がエピクーロス哲学を信奉していたとかそこから徐々に離れていったといった説明をウェルギリウスの生涯と結びつけて語っているが,明確ではない詩人の生涯と思想遍歴を関連づけて論じることには困難があり,この論文ではむしろ作中で用いられる哲学的モチーフがどのように変化しているかに着目して分析が行われる.

『牧歌』においては散発的にしか窺われなかった自然哲学が『農耕詩』では根本的な主題となっていて,ここでの詩人の眼目が,エンペドクレースやルクレーティウスとは異なり特定の学派にコミットせず折衷的なアプローチにより「哲学的に理解されうる詩」を書くことにあったという指摘はなるほどと思わせる(pp. 76-79).

今見返していて,これの10-11ページ目にあるKennyからの引用のvia ac ratioを単に「方法」としているのは不完全訳かなと一瞬焦ったけど,ヴィラモーヴィッツがMethodeをこのように言い換えていたのを踏まえた表現だからこれで問題ないと思う(ratioは文脈によって「理性」ともなるのでややこしい)

ところでShackleton Baileyの修正には同じ行のはじめのquodをquaeに変えることも含まれていてGooldのTeubner版はこれをそのまま受け入れている(あとutrisqueはutriusque).sed以下の大意は《しかし(白羊宮が)争いを起こすのは時の求めに応じて場合で稀,それらを勃発せしめるのはむしろ他の二つ(獅子宮と人馬宮)の獰猛さなのだ》ということになる.

quaeへの修正はprorumpereの主語となるものが欲しい気持ちからだろうが,それは文脈から補い得るものなので写本のままquodを理由の接続詞と解して《むしろ他の二つの獰猛さが(それらを)勃発せしめるから》ととって問題なさそうである.実際,Floresはprorumpereのみ採用してquodを保持している.

quaeへの変更の必要性をどのくらい感じるかについては英語とイタリア語という学者の母語の差が影響しているかもしれない.そしてラテン語の感覚としては後者の方が妥当に思われる……

マーニーリウス『アストロノミカ』第2巻620-621行(z = Matritensis 4252 fol. 61r; 1484年以降) Show more

マーニーリウス『アストロノミカ』マドリード写本4252(Floresによれば1484年以降)
bdh.bne.es/bnesearch/detalle/b

主要写本のMatritensis 3678はこっち(gnosia.info/@ncrt035/368)

ペトラルカ『カンツォニエーレ』60番台が埋まりました.
stromateis.info/interpr/Petr/i

岡本神草の時代.
草稿や研究段階のものも展示されていて見比べられるのが良かった.完成作だけでなく未成の作品にかなり迫力があったのが印象的.

Campbell, G., 'Lucretius Empedocles and Cleanthes', in M.Garani & D.Konstan(eds.), The Philosophizing Muse, Cambridge Scholar Publ., 2014: 26-60.

エピクーロス自身が「哲学を語る手段としての詩」をあまり肯定的に評価していなかったことを考えると,哲学を詩で語るルクレーティウスはこの点でむしろストア派の詩論に接近しており,そこには詩的・哲学的典拠の混淆がある.

その上で第1巻冒頭のウェヌス讃歌に焦点が当てられる.ここでルクレーティウスがストア派のクレアンテースの『ゼウス讃歌』を模倣していることは従来の研究が示していることだが,著者は其処に更にエンペドクレースとの関わりをも見出そうとする.
エンペドクレースがヘーシオドスに反発して「ウェヌスの支配する黄金時代」を描いたことを念頭に置けば,クレアンテースにはヘーシオドスへの回帰という側面があり,彼を模倣しつつ批判したルクレーティウスのウェヌス讃歌がエンペドクレースに負うところの大きいことが示される.

セバスティアーノ・ティンパナーロ『ラッハマンの方法の誕生』(Sebastiano Timpanaro, La genesi del metodo del Lachmann)の書誌情報はちょっとややこしくて書き方にいつも悩むんですが,1963年に初版が出て1981年に第2版,そして1985年に81年版に若干の本文修正とAddendaをつけた「改訂第2版」的なものが出ている形で,普通には85年版を第2版と呼んでも差し支えないと思う.
2003年にUTETから出ているリプリントは85年版にElio Mantanariがpresentazioneとpostillaをつけているもの.

カルドゥッチ―フェッラーリのペトラルカ『カンツォニエーレ』註解
Le rime di Francesco Petrarca di su gli originali :commentate da Giosuè Carducci e Severino Ferrari (nuova tiratura), Firenze, Sansoni 1904.
archive.org/details/lerimedifr

『神話学研究』に投稿した論文がWebでも読めるようになりました.
「『農耕詩』から『アストロノミカ』へ : マーニーリウスの「矛盾」と詩的伝統」
doi.org/10.18910/66575

ルーカーヌス『内乱』1巻8行(Luc. 1. 8)のquae tanta licentia ferriという何とも訳しにくい表現が大西先生の邦訳では《かくも激しき,何という剣の暴戻》と見事に表現されていて感激した記憶があります.
licentiaは《積極的な自由》というよりも,ちょうど「免許license」が「本来禁止されていることが免じて許されている」ことであるように,《箍が外れて出来る,許可されている》という感じなので否定的なニュアンスを帯びるとこういう感じになるのだと.

一例にカエサル『内乱記』(Caes. Civ. 1. 21. 2)でコルフィニウムを攻略しようとするカエサルは,しかし夜間に占領することを避けるのだけれども,その理由が《兵の侵入と夜という時の放縦さによって町が掠奪されることを恐れた》(veritus ne militum introitu et nocturni temporis licentia oppidum diriperetur)ため,という箇所などが挙げられそう.

cladesの意味がよく判らなくなったのでErnout-Meilletの語源辞典を引くと,例外はあるものの一般的に言ってcaedesが能動的な意味なのに対してcladesは受動的であるように書いてあった(généralment au sens passif, tandis que caedēs a le sens actif; toutefois, quelques exceptions, surtout poétiques).
なるほど.

×ネアーカデーミアー
○ネアカデーミアー